三重県浦村牡蠣の特徴、これからの牡蠣生産や販路拡大について〜ヤマキ水産・木村勲さんを訪ねる〜
こんにちは。
私の夢は「牡蠣で世界平和」
牡蠣の会代表・泉です。
2017年10月21日〜22日、台風21号が猛威を振るっている中、夜には暴風雨ですごいことになるとニュースでアナウンスしている中、泉単独で三重県浦村の牡蠣生産者・ヤマキ水産代表木村勲さんに会いに行って来ました。
「こんな時に視察に行くなんて絶対迷惑者だよね。。。」とためらいの気持ちで東京駅から飛び乗り約4時間、浦村の最寄り駅鳥羽駅まで行きました。
駅に着き勲さんに電話すると、なんと駅まで迎えにきてくださり、「こんな時に来てくれてありがとうございます」と台風直前にも関わらず快く受け入れてくださった勲さん。
なんて!心が広いのかしら!
道中、浦村の海のこと、浦村と牡蠣の歴史、生産者の精神、今後の夢など貴重なお話を聞かせていだただきました。
また、勲さんのアテンドで、船にも乗せていただき、台風対策の様子なども見させていただきました。

ヤマキ水産:木村 勲さん
殻の仕上げ、身入りの具合の仕上げ、かなりこだわってます。
木村勳さんはサラリーマンを辞め、家業を継いでカキ養殖の世界へ。木村さんの作るカキは評判が高く、料亭やオイスターバーなどからの注文も多数です。
目次
浦村と牡蠣のこと
三重県鳥羽市浦村町
- 最寄主要駅:鳥羽駅
- 伊勢神宮内宮から車で約35分
- 名産品:牡蠣、アサリ、アカモク、伊勢海老、イサキ、スズキ、ぶり、クロダイ、真珠、「とばーがー(ご当地バーガー)」
- 牡蠣はリアス式海岸が生浦湾(おおのうらわん)に向かって広がるところで養殖されている
- 牡蠣の食べられる店も豊富で、牡蠣小屋街道たるものがある。勲さんのヤマキ水産も直営「かき太郎」を運営
- 波が比較的穏やかであり、牡蠣のエサであるプランクトンが豊富
- 勲さん曰く、岩手県米崎の牡蠣を似ている(味、環境など)
- 1年牡蠣が主流。2年を超えるとエグ味というか渋みが出てくる
- 牡蠣生産者は45(平成27年9月7日現在、三重県保健所調べ)
- 牡蠣出荷量は三重県全体の2/3(あの三重県ブランド牡蠣・的矢も一部浦村牡蠣を使っている)
浦村はココね↓
浦村牡蠣の養殖サイクルと方法
浦村牡蠣の養殖サイクル(真牡蠣)
カルチ盤を筏に吊るして育てる→選別→ネット蓄養※1→出荷が主流だが、最近では若手を中心としてBST※2のカゴを使いシングルシード養殖実験も始まっている。
勲さんもその一人で、浦村の環境に適した養殖カゴを自作し実験を重ねている。
では、私が見てきた浦村の様子を紹介します。
1)選別の様子
大中小に分けてネットに入れている。ヤマキ水産では主に女性の仕事です。私が挨拶をすると「わざわざここまで来てくれるなんて!」とお母さんと中国の女の子たち(感動その2)
2)選別したものを船まで運ぶ映像
3)蓄養しに筏へ
1年に1回、漁協によって行われる抽選で指定された場所に筏をはり、養殖をする。
4)蓄養シーン
2人1組でネットを吊るす。
とにかく台風が来る前に!と急ぎ気味。
そして、台風で筏が流されないようしっかり根を張ります。
船操縦で一番緊張するシーンは、狭い筏の間を通るときだそうです。筏に張ったロープが絡むととにかく面倒だから^^;
5)船を戻す位置
台風で船が流されないように、お尻から停める。
以上、私が見させていただいたところです。
徐々に雨風が強くなり、カッパを着てても全身ずぶ濡れ状態でしたが、海を感じながら、牡蠣を感じながら、生産者の真剣さを見ながら「ありがとう!」と自然に思った自分でした。(感動その3)
浦村と牡蠣の歴史〜浦村と沖縄の意外な関係〜
浦村と沖縄は地理的にも離れていますし、それに加えて一般的には「沖縄で牡蠣?」といったイメージだとは思います。
ですが、浦村と沖縄には密接な関係がありました。まとめてみたのでご覧ください。
昭和より前 | 干潮時に岩に付着した天然の牡蠣を採取して販売 |
昭和元年 | 沖縄県出身の大城さん「日米ガキ」という会社設立。垂下式養殖法で生浦湾東部の春尻⻑蛇が谷にて50の筏を浮かべ養殖開始 |
昭和4年 | 本格的に事業展開!養殖技術指導者を大阪より招聘。殻むき作業に地元住⺠を50人くらい雇用 |
昭和5年 | 浦村漁業組合が牡蠣の区画漁業権を取得。40代の筏で養殖開始 |
昭和9年ごろ | 日米ガキ、カキ養殖終了。。。。 |
昭和9年ごろ | 東京出身の石垣により「共栄」というカキ養殖会社設立。100人ほど雇用。1連5台の筏を20連保有 |
昭和10年 | 地元有志12人が各々でカキ養殖を開始。生産した牡蠣は定期船で鳥羽町へ運び、鉄道へ東京や大阪に殻付きのまま出荷。剥き身は樽詰めにして出荷 |
昭和22年 | 漁業法改正 |
昭和25年ごろ | 一般の地元漁業者の牡蠣養殖参入進む |
昭和28年 | 「共栄」操業停止 |
昭和28年ごろ | 剥き身は樽詰めから缶詰に変わる |
昭和48年 | 的矢かきの浄化システムが浦村町でも使用可能になり、生食用牡蠣の漁業者増加し、浦村は牡蠣養殖が漁業の中心となる |
平成8年 | 毎月2月に「牡蠣の国まつり」開催。消費者へ浦村牡蠣のPRを開始 |
平成15年 | 三重県庁、浦村牡蠣と的矢牡蠣のブランド維持・向上を目指して牡蠣の安 心・安全情報をインターネットで提供する「みえのカキ安心情報」を構築 |
未来の牡蠣のために〜生産者として、人として、そして夢実現〜
勲さん、実は体を壊し牡蠣養殖を休んでいたんです。
その時に、牡蠣生産者たるモチベーションを考えていたんですって。
牡蠣生産は充実しているけど色々と難しく、後継者不足の問題もある、将来性もないと、体を壊した時に気づいたことなんですって。
これからは体の使い方や休み方を工夫することで、牡蠣生産者という職業に興味を持ってもらう、牡蠣に対して可能性を感じてもらう、そんな場を作っていきたいと、熱い想いを語ってました。
どこの生産地に行っても同じ悩みや不安を感じている。私たち牡蠣の会が未来の牡蠣のためにできることをどんどんやっていきたいと強く再認識した浦村視察でした。
編集後記
そうそう、私の夢は「牡蠣で世界平和」という話を勲さんにしたら、実は自分もやりたいことがあると動画を紹介していただきました。
コカコーラを通じてインドとパキスタンを繋ぐ、という動画です。
牡蠣でこういうことがしたいって目をキラキラさせながら話してました。
大共感し、いつか実現できるようになろう!って結束!
その動画はこれ。
牡蠣ってほんと素敵!
泉でした^^

泉 祥子

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